2014年9月12日金曜日

浮世絵シリーズ、その後。

秋の夜長に、こんなものを整理しています。
上村一夫が1974年から1978年までスポーツニッポンの日曜版で連載していた
「浮世絵シリーズ」の記事です。
現代の浮世絵のごとく風俗や女性を気ままに綴った短冊のような形のエッセイとイラストでした。
この時期の上村一夫が描いた女性たちは表情豊かでとても美しく、生き生きとしています。
そこにちょっとコミカルだったり哀愁が漂っていたりする本人のエッセイが組み合わされ、なかなか面白い読み物になっています。周りの上村マニアックスの面々にもすこぶる評判が良いので、いつか本にまとめてみたいと以前から思っているシリーズです。
ただ、すべての資料が残っているわけではないので、5年分の記事をどうにかして探し出してデータにしなければなりません。
どんな形で復刻するのがよいのか、いまだ手探りの日々です。
今日はその中から一部ご紹介してみます。



これは第一回目と思われる記事。
1974年2月17日の新聞です。
現存する新聞の切り抜きは劣化してこんな色に。

以下、文章の部分
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 パリへ行ってきたなんて女の子は、ざらにいる時代である。この娘も花の都でワインの味を覚えて帰ってきた。ひと晩に1本のワインボトルを飲みほしてしまうこともたびたびある。ただし飲みほす頃にはもう、へべれけの酒乱に変わり、自分の部屋に招いて相手をさせていたボーイフレンドにそのワインの空ビンを投げつける。「恐ろしいな」と言うと「ワインのビンってがん丈でなかなか割れないのよ」と答えた。彼女の部屋にはもうワインの空きビンが60本もたまっているそうだ。その酒乱ぶりに恐れをなして逃げ帰った恋人の数も六十人目ということか。
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と、そんな上村マンガに登場してきそうな女性のことが書いてありました。
さて、次は劇画家の日常から。1974年4月21日の新聞です。


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劇画稼業なんて朝から晩まで机に向かい、墨汁のすえたにおいとペン先の鋭利な冷たさに身も心も削られていく不健康なる肉体労働である。必然的にストレスもたまる。だから酒を飲む。飲んでも飲んでもちっとも酔やあしない。足はいつのまにか新宿の裏路に迷い込み、オカマにハントされて怪しげな店へ連れ込まれる。オカマとは図式のようなもので、女のしぐさの端々を象徴的に分析し己の動作に加え込んだ同性であり、そんなパターン化されたしぐさに囲まれて、はじめて酔いつぶれることのできる私も、やはり図式化された日常を送っているからであろう。
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劇画家の哀愁。。。




この浮世絵シリーズ、おそろしいことに家族ネタもたびたび飛び出します。

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今の子供等は自分達はあと2、3年くらいしか生きることが出来ないと信じている。マスコミがあげて日本沈没を吹聴したためか、それとも自分らの霊感で感じとったことなのか。とにかくかわいそうな子供達である。私の幼少期は多少の飢えはあったけれど、やがていつかはおいしいものを腹一パイ食える日が来ると信じただけでも明日への希望があった。私の九歳になる娘の好物はイモとトウモロコシである。私は自分が、幼少期に食い飽きているそれを見るのもきらいだけれど、TVを見つつ無表情に食べている娘を見ているのもなんともやりきれないものだ。
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えっ、イモとトウモロコシ...そんな子供でしたか、わたし。。



次は、1978年2月5日の新聞より。
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映画「未知との遭遇」を見た。年に二、三度しか、それも場末の映画館にしか行かない私には、大劇場の、大スクリーンに、大音響で映し出された大UFOに、胸が熱くなった。映画は「大きい」だけで十分よろしい。今の子供たち、とくに昭和四十年生まれの子供は、自分たちを宇宙人だと信じ込んでいる。私の娘もそのひとりだ。それも「親離れ」「親不信」の表れだろうし、そう言われてみると何となく娘が宇宙人に見えてくる。「未知との遭遇」の試写会後、雑誌の編集者と待ち合わせている酒場へ出向いたら、先に着いていた編集者が私の顔を見るなり「泣いていたそうですね」とからかいやがった。誰かが電話で知らせたらしい。画面を見ずに他人の顔を見に映画館へ来るヤツこそ宇宙人だ。
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SF好きな昭和の絵師でした。



最後はちょっとぐっときた編。1978年1月8日の新聞です。
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食っちゃあ寝、起きちゃあ食いの正月だった。こんなの初めてだ。去年までは二日も家にいたら、もう落ち着かなくなり、街へ出るか、知人宅を訪れるかしたものだったが…。体力の衰えも感じない、借家住まいは住み心地のよいわけでもない。なぜだろうと考えたら、それは娘のせいだった。娘が台所に立って、洗いものをしている姿をかい間見たとき、これはもう使えると、以後、ビール、水割り、ロックにつまみと、思いのまま。家内は他人で用も頼みにくいけれど、子供とは以心伝心。関白の座は妻ではなく、子供が請けてくれるものだと亭主は知った。一年間ろくに顔もあわすことが出来ない親子だからこそ、娘の成長に目を見張り、そのありがたさを知ることができるのだと、どっかりコタツにへびりついたまま、テレビのチャンネルがえの命令を飛ばす父は、娘にお年玉をやるのを忘れていた。
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上村一夫当時38歳、愛しいダメ親父でありました。